AIは夢を見ない、サルは演劇を楽しまない

評論・随想

 最初こそある程度コンセプトを決めて始めたこちらのブログでしたが、最近は毎日書くということだけ決めて、PCに向かって思いついたことを書くようにしています(ブログを貫くテーマがテーマなので、緊密な構成や順序を拒んでいるのかもしれません……)。
 かつて経験したことへの評価(自己評価、社会的評価、いずれの面でも)が変化していたり、かつて疑問に思ったことに対して突然、答えが示されたり、奇抜な発想を思い付いたりすることがあります。

 今日は後者の方になります。

 先月、NHKの「100分de名著」では、フロイトの『夢判断』がとり上げられていました(私は数年前くらいからTVをほとんど見ていないので、占いの生徒さんからそのことを聞いて番組を見ました)。そこで、番組の解説でいらしていた先生が〝AIは夢を見ない〟ということを話していることが、ひっかかりました。
 さらに、ネットのコミュニティで知り合った若い男性が最近、〝人間って、起きているよりも、眠っているのが本来の状態らしいよ〟と言って、眠くて仕方ないことを訴えたところ、そのコミュニティの代表のやはり若い男性が、〝人間だけでなく生物がそうらしいよ〟と返答していました。彼らの会話がどんな情報を根拠としているかはわかりませんでしたが、大変興味深く思われました。

 さらに今日、〝そういえば、演劇を見て共感できるのは人間だけなんだよね〟といったことを、ふっと思い出しました。こちらは確か、京大の霊長類研究所所属の方が、雑誌か何かで対談かインタビューを受けた記事の中にあった情報です(記事を見たのは、十年以上前かもしれません)。

 人間の共感能力は、ホモ・サピエンスが旧人類をさしおいて「ヒト」として今に至る鍵となっているというのを聞いたことがあります。ただ、単なる「能力」以上の何かがそこには存在しているような気がしてなりません。

 夢そして演劇が、人間にしかないもの、つまり、その本質に迫る現象だとしたら、大変興味深く思われます。「夢」を代表とした無意識の世界とはまさしく、バビロニアの神官たちが占星術やタロット・カードによって体系化した対象であり、「演劇」とは「物語」に共感する能力がなければ楽しめるものではないからです。そして、その「共感」の根底には、「物語」の多くが他人事ではなく自分事であるという、ある種の反応や吸着を覚えるのです。

 無意識下には、意識の上に明確に表れることのない前世・過去世の記憶が潜んでいて、占いはそれらが抱える問題を解決する一つの手段です。また、前世・過去世とは「物語」に似ており、演劇をはじめとする「物語」によって前世・過去世のカルマを浮上させることは、これもまた問題解決の一つの手立てだと、最近の私は考えています。


  以下の記事が、本記事の理解の助けとなれば幸いです。これからも、前世・過去世の問題をいろいろな角度から考えていきたいと思っています。


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